日露戦争講和100周年



セオドア・ルーズベルト大統領
セオドア・ルーズベルト(第26代大統領)

任期: 1901年9月14日-1909年3月4日
前任: ウィリアム・マッキンリー
後任: ウィリアム・ハワード・タフト
生年: 1858年10月27日
生地: ニューヨーク州ニューヨークシティ
没年: 1919年1月6日
没地: ニューヨーク州オイスター・ベイ
本職: 作家    政党: 共和党

1904(明治37)年2月8日から翌9月5日まで、日本とロシアが朝鮮と南満州(現在の中国・東北部)の支配をめぐって戦った日露戦争で、日本は12万の戦死・疾者を出し戦費15億円(当時)を費やした。

ポーツマス会議
第26代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルト(当時47歳。1900年共和党から立って副大統領となり、翌年マッキンリー大統領が暗殺されたため大統領に昇格、1904年再選された。在任1901〜09)の勧告もあって、1905年9月アメリカのニューハンプシャー州・ポーツマスで日本全権代表は小村寿太郎とロシア全権代表はウィッテの間で、「日本の韓国における権益の承認、旅順・大連の租借権および長春以南の鉄道と付属の利権の譲渡、樺太南半の割譲などを決めた」講和条約が締結され、ここに、戦費の半分以上を米英資本で賄った日本と、フランス資本を背景に軍費を調達したロシアとの戦争は、日本勝利で終結した。




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